金稔万氏の微罪逮捕弾圧に先行すること8ヶ月前、西成公園よろず相談所の伊東さんへの、でっちあげ逮捕弾圧をゆるさない。第一回裁判(9月7日)の報告と、これまでの経緯。

(9.9 18:00 少し文章修正しました)
 今日は、金稔万さんに対する弾圧に心を痛め、支援してくださった多くのみなさまにも、ぜひ知って欲しいと思い、同じく、寄せ場や野宿の現場に関わってきた者に対する、別の弾圧事件について書きます。
 ドキュメンタリ映像作家の金稔万氏の「微罪逮捕」弾圧に先行すること8ヶ月前、今年の新年早々、1月12日に、大阪は釜ヶ崎の近く、西成公園よろず相談所の伊東さん(67)が、「威力業務妨害」の現行犯で逮捕されるという事件が起きました。どういう状況であったかと言えば、その西成公園の中で、公園事務所の人間が、野宿労働者を、その人のテントの前で当人の許可なくビデオ撮影しようとするのに対して、抗議しただけという、ただ、それだけのことでした。西成公園よろず相談所の伊東さんというのは、労働者の尊厳と生命を守る取り組みとして、テント村住民の相談に乗ったり、行政からの嫌がらせ・排除の動きに対してずっと、粘り強く抵抗を続けてきた人です。そしてこの事件は、職員にビデオを撮影された当該の労働者が、「働けるうちは、生活保護には頼らず、野宿しながらでも生活していきたい」と相談し、西成公園での新しい生活を始めようとした矢先に起こりました。その後伊東さんは、今に至るまで、延々9ヶ月間近く、大阪拘置所に勾留され続けています。
 結論から言います。この事件も、警察と大阪市がグルになって、野宿者支援の活動をずっと続けてきた伊東さんに対して行った弾圧であり、明らかな不当逮捕なのです。「威力業務妨害」とはまた都合のいい罪状で、これまた、警察が罪状をでっちあげたいが証拠がないときによく使われる手法でもあります(実際、第一回の裁判が終わった現在に至るまで、まさに証拠として提出されたビデオにも原告が主張するような事をしたという「証拠」など写っていないし、あるいは検察側の証人の証言も質問に対してろくに答えられず主張も二転三転するようなひどいものでした)。
 ちなみに、ビデオ撮影をしていた複数の役人たちの中に、天王寺公園事務所に所属している大阪府警OBがいたことがわかっています。その人間が、最初から伊東さんを狙っていて、撮影に抗議する伊東さんを見て騒ぎ出し、伊東さんを確保して警察に連絡したのだそうです。つまり、大阪府警天王寺動植物公園事務所が共謀し、はじめから伊東さんに狙いをつけてビデオ撮影という「挑発行為」を仕掛けてきた可能性すらあるのです。
 金稔万氏への弾圧というのは、ドキュメンタリー映画を作る表現者に対するものであったことや、まさに大林組への裁判闘争が始まろうとしているところに仕掛けられたものであったことなどから、社会的な注目が集まりましたが、伊東さんに対する弾圧というのは、社会的な注目があまりないのをいいことに、警察に好き放題やられている現状があります(Free K!の呼びかけ文にも述べたとおり、社会運動に関わる人々を萎縮させる手段として、公安警察は、微罪逮捕やでっちあげ逮捕などを平気で用いてきました。伊東さんの事件だって、氷山の一角に過ぎない)。存在しない「威力業務妨害」をでっちあげられて起訴され、そのために伊東さんは、今年の初めから現在まで、あり得ない長期間に渡って延々、大阪拘置所に勾留されています。またその間、大阪府警に「罪証隠滅の恐れあり」というデタラメな理由(どんな「罪証」だ、いってみろ!)で接見禁止がつけられ、手紙なども一切入れることができず、弁護士以外の誰も伊東さんに会えない状況が今に至るまで続いていました。「威力業務妨害」の「疑い」というだけでこれだけ長いあいだ警察に拘束される人間がいる、そのような事が平気でまかり通ってしまうのが、今の日本社会の現状だといえます。そしてこれは、長居公園テント村に続いて、今度は西成公園テント村やあるいは釜ヶ崎の公園の生活者とテントを一掃しようという動きを仕掛けつつある、大阪市の殺人行政と警察権力が一体となって行なわれていることなのです。

アフリカ太鼓のカワンモラウのメンバーが大阪地方裁判所前で「不屈の民」の演奏で伊東さんを激励。伊東さんもこのバンドのメンバーの一人である
 そして、この事件の裁判が、やっと始まりました。裁判の第一回は昨日、9月7日に行われ、伊東さんを支援する多くの人々で傍聴席が埋まりました。昨日、第一回裁判が終了しましたが、結局、ろくな証拠も存在せず、原告側の証人は、弁護側の質問に対してだけでなく、検察側の質問にもろくに答えられないような有様でした。対する伊東さんは、長い勾留生活にもかかわらず、とても元気そうな様子。久しぶりに顔を見れてホッとしました。そして裁判の冒頭で、凛とした様子で、長い、意見陳述を行ないました。以下、その全文を掲載します。

私の意見

2010年9月7日

被告人 〇〇〇〇

大阪地方裁判所
    第13刑事部 合議係 御中

(一)公園は失業・野宿労働者にとっての公園でもある

 私は、ビデオ撮影をしていた天王寺公園事務所の松野広宣に対し、その胸を手で数回押したり突いたりしたことはないし、またその右腕の上腕部をげんこつで殴ったりしていない。
 私は、松野らの業務を威力を用いて妨害したことはない。
 今の私は、大阪拘置所にほりこまれているが、私はこのことに全く納得していない。
 今年の正月、西成公園のアルミ缶集めの労働者が、公園近くの高速堺線の高架下で野宿している路上生活者に気付き、「どうしたのか?」と声をかけた。その路上生活者Aさんは60歳で、昨年8月に飯場を出たあとずっと路上生活であったという。
 西成公園を訪ねてくれたAさんは、冬さなかの路上生活の厳しさから、とにかく今夜からでも、空いている小屋・テントがあればそこに入りたいと訴えた。
 このAさんの訴えは、そこに居合わせた公園労働者にとっても、自分自身の体験からしても、身に詰まされるものであったので、とりあえずこの場の何日間かはよろず相談所を自分の小屋代わりに使おうということになり、ぜんざいとホット酎杯でお互い正月を祝おうということになった。
 Aさんは、このうち続く不景気で仕事にありつけず、尼崎にある飯場に入って尽くすことで約8年間しのいできたが、その飯場もいよいよ左前になり、古参のAさんも飯場を出なければならなかったこと、月に1、2回しか当たらないが、夜明け前から難波の飲食店街に行き、飛び込みで店の片づけ仕事を見つけるようにしていること、また、まだ若いし働けるから、当分生活保護を受けるつもりはない、こういったことを話した。
 公園労働者の側からは、権利としての生活保護のこと、Aさんは60歳だから特掃仕事にいけること、路上生活と違って、自分のテント、小屋さえあれば自転車でアルミ缶集めができるし、飯だって自分なりに自炊できること、釜ヶ崎でいろいろな炊き出しがあること、自分が始めてうつぼ公園でテントを張った時の役人のこと、そしてこの公園での役人の動きの特徴などについて話しをした。
 こんなことを話し合う中で、結局Aさんは、この仕事がない時期、西成公園に住むということになった。
 小屋は、先に生活保護をとって公園から引っ越した労働者が、あとに続く路上生活者のために残してくれていた小屋を引き継いで使うこととなった。小屋養生の桟木やブルーシートなどの資材は、いつものように公園労働者からの回し合いを受け、2日がかりであったが、大工仕事の加勢も得て、雨漏りの屋根を張り替えたりした。
 こうしてAさんは、これも回してもらった布団、カセットコンロ、ラーメン鍋などを手に小屋に移り住んだのであるが、連休明けの1月12日、公園事務所の役人は、まるでどこかの組のごろつきそのままに、「おっさん、黙っとけ」「今どついたんじゃ、こいつが」と因縁をふっかけてきたのである。
 2月24日、公園事務所の役人は、Aさんが公園から去ったあとの小屋をつぶし、跡地をフェンスで囲ったという。
 同じ2月、住之江区内で自前のテントを支えに暮らしていた野宿者が、少年と見られる4人組に襲われ重傷を負った。この人は、もともと作業中の事故で足が不自由であったという。このことで朝日新聞は、ここ大阪での今の野宿者の実情について、「生活保護を受ける人が増えて路上生活者は減る一方、行政の排除が進み、路上に残された人は孤立している」と記事にした。この記事の中で、長居公園元気ネットの芳井さんと野宿者ネットワークの生田さんが、それぞれの体験に基づいて意見を寄せた。芳井さんは、「行政が野宿者をあからさまに排除することで、社会の目がより冷たくなった」と指摘し、生田さんは、「西成公園でも、野宿者が入り込みにくいように、市有地の歩道がフェンスで囲われたり、桟で細かく仕切られたりしている。このため、行政の管轄が複雑な河川敷や線路の高架下などで暮らす人が増えたが、『分散して孤立し、危険性が増した』」と話した。
 西成公園でも、役所は、路上生活者がテントを張れないように空き地という空き地をフェンスで囲い、これ見よがしに「立入禁止」の札をかけている。地域の浪速教会による週一の炊き出しに並んだ路上生活者も、「ここも、もうわしらテント張られへんな」と話している。
 芳井さんらが指摘したことでもあるが、この間の野宿者をあからさまに排除する役所・役人がよって立つのは、「生活保護まであるのに、あと何が文句あるんや」といった世界観である。そして、そこにあるのは、故なく野宿しているという失業・野宿労働者に対する問答無用の支配者然とした根っからの蔑みである。こんな役所・役人連中に比べると、Aさんに「どうしたのか?わしがおるとこやったら大丈夫や」と声をかけ、「わしもおんなじや」と仕事の合間をぬって小屋の養生を応援した公園労働者の側にこそ道理がある。
 この国の法律は、失業・野宿労働者のことを「ホームレスとは公園や道路などで故なく好き勝手に寝起きしている者のことである」(ホームレス自立支援法)と決めつけている。しかし、Aさんだって仕事にあぶれ続けたのであり、断じて、何も好きこのんで故なく冬のさなか一人で高架下を居場所にしていたのではない。

(二)若い労働者たちのメーデー「P8宣言」と釜ヶ崎の失業・野宿労働者

 若い労働者たちがメーデー宣言で、「これまで私たちは、どなられたり、無視されたり、誤解されたりする対象だった。」「でも今は違う。」「このことを伝えたい人がいる。伝えたかった人がいる。」と自らのことをうたったのは、2008年5月のことで、長居公園大輪まつりの場であった。そして、自分たちのメーデー「P8宣言」を伝えたかったであろう同世代の一人が、東京・秋葉原でレンタカーのトラックを走らせたのは、その翌月であった。
 このトヨタ自動車派遣労働者で、まだ27歳の加藤さんは、裁判で「他人が遊びに来てくれることはまずなかった」「孤独を感じて不安になった」「そんな自分が痛々しかった」と語った。この国では、仕事が原因で696,000人もの若者がひきこもりであるという。加藤さんの証言は、この社会・日本資本主義のあり方を代表し、その先生役でもあるトヨタ自動車が、労働者に対する抑圧と支配の要であるその仕事現場で、どのように抑圧と支配を貫こうとしたのかについて、今更のように公にするものであった。
 長居公園でのテントの強制排除をくぐりぬけた人たちでもある若い労働者たちのメーデー「P8宣言」はこうである。

 ・お金がない
  今年、G8が日本を通りすぎてゆく。税金を使って8人の人間が集まっておしゃべり
  するのだそうだ。それもよからぬことを。正直もったいないと思う。ほとんどの人が
  G8なんて知らないだろうし、つい「そのお金があれば」と考えてしまう。
  そう、お金がない。先のことが考えられない。先のことを考えると死にたくなる。生
  きたいと思うほど、死にたくなる。

 ・あなたが生きている今そこが、世界の中心なのだ
  あなたは、生きているということは世界のどこかにあり、自分には関係ないと感じて
  いるかもしれない。
  しかし、彼らがどんなに世界の中心を騙ろうとも、あなたが生きている今そこが、世
  界の中心なのだ。彼らがどんなにあなたの痛みを騙ろうとも、あなたは痛みを感じた
  ときに、「この痛みは自分の痛みだ」と言っていいのだ。
  そして、その痛みを作り出している彼らに、「借りはいつかきっちり返す」と言って
  いいのだ。

 ・私たちは、このつながりを絶対に手放さない
  これまで私たちは、どなられたり、無視されたり、誤解されたりする対象だった。言
  い返せずに黙り込んだりしてきた。自分の声なんて誰も聞いてくれないし、自分なん
  ていてもいなくても同じだと感じてきた。
  でも今は違う。
  今年、私たちはお互いのことを認め合い、話せる人たちと出会うことができた。それ
  も、ただ話すだけではなく、解決に向けて一緒にやっていける人たちと出会うことが
  できたのだ。
  私たちは、このつながりを絶対に手放さない。
  このことを伝えたい人がいる。伝えたかった人がいる。
  だから、ここで叫びたい。
  もう少し生きるぞ!
  何とかするぞ!
  何とかならなくても、とりあえず生きるぞ!
  G8のことは忘れても、P8のことは忘れないと思う。

         2008年5月18日
            第5回長居公園大輪まつり インディーズ系メーデー有志

 釜ヶ崎では、55歳以上の失業・野宿労働者を対象に、大阪府・市の責任による仕事出し、失業対策事業としての特掃仕事が制度化されている。この輪番制の特掃仕事は、釜ヶ崎労働者による反失業闘争の大きな成果であるが、いまもって、運よく月5回仕事にありつけたとしても、その月収は28,500円である。これでは、自前のテント住まいでもないかぎり、どうしても配られた整理券と一包みのカンパンを手に、三角公園横手の一晩きりのシェルターに入って明日を待つよりない。このシェルターも大阪市の施設である。昼間はあちこちの炊き出しを追いかけ、遅くとも午後4時にはセンターに帰ってきて、また昨日と同じように何百人もの失業・野宿労働者がシェルターに入るための場所取りに並ぶのである。役所によるこのシェルターに入ることとワンセットになった特掃仕事の予算の組み方は、特掃仕事が始まってから今日まで大きく変わってはいない。
 この社会・日本資本主義のありようを問い、振り向かないで、この時代の闇を切り裂こうとする若い労働者たちのメーデー「P8宣言」は、文字通り同じ労働者として時代と状況を共にするが故に、シェルターに入らざるを得ないでいる労働者やテント住まいの労働者とも響き合わないではおかない。
 「シェルターじゃなく仕事を!」
 「役所は失対事業の特掃仕事にもっと予算を!」
 失業・野宿労働者の失対闘争の声として。             以  上

(名前以外、誤字脱字など、全て原文ママ

伊東さんに対する弾圧は、これがはじめてのことではありません。長居公園テント村の強制排除の時には、大阪府警に、ほぼ同じようなでっちあげ逮捕弾圧を行われ、長い間、大阪拘置所に入れられていました。以下紹介するのは、その時に「長居公園での若い労働者のみなさん」と題し、獄中から送られてきた手紙です。ぜひこちらも読んでください。
http://ameblo.jp/fukushiradio/entry-10097670631.html
 
次回の伊東さんの裁判は、9月22日(水)の1時30分から3時30分まで、大阪地方裁判所1005号法廷で行われます。みなさま、是非、傍聴しに来てください。多くの人の注目が集まることは、それだけ圧力になります。
 
原告側の証人尋問は今日の裁判ですべて終了したので、伊東さんへの面会が弁護士以外の人でも出来るようになりました。ただ、面会は1日1回(3人まで)しか出来ないので、伊東さんへの面会希望者が多い日は、ある程度人数の調整が必要になります。伊東さんへの面会を希望する場合は出来れば、事前に連絡をお願いします。(釜ヶ崎医療連絡会議事務所=06−6647−8278)
はがきや手紙のやり取り等も自由に出来るようになりました(やっと!)。
大阪拘置所の連絡先は、以下の通りです。 〒534−8585 大阪市都島区友淵町1−2−5
 
あらためて思います。こんな弾圧が続くような社会は、もう沢山です。